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私は昭和 22 年 9 月 29 日に三ノ輪で生まれて蔵前で育ちました。赤ちゃんの頃日赤病院の小林先生に脳性麻痺と言われたそうです。
私が5歳の頃、みんなの言うことはわかったけれど、母にも言いたいことが伝えられませんでした。私はわかってもらえない時に大きな声で泣きました。
母が「どこかに行きたいの」と聞きました。私は首を横にふってちがうと言いました。母が「智子は何かが食べたいの」と聞きました。私は縦に首をふって「うん」と言いました。
母が「お肉屋さんの方に売っている物、それとも魚屋さんの方に売っている物、それとも酒屋さんの方に売っている物」と聞いたので私は首を縦にふりました。
「酒屋さんで売っている物は何が飲みたいの、ジュース、それともサイダー」と聞いたので私は首を大きくふって「うん」と言いました。「智子が言いたいことがやっとわかったわ」と言ってサイダーを買って飲ませてくれました。
私はとっても嬉しかった。私が母に思っていることをわかってもらうにはとても時間がかかりました。
<中略>
優子(妹)が小学校に入って、お母さんと勉強を始めました。
私も字の勉強がしたいと思っていましたがお母さんに伝えられませんでした。口惜しくって泣いても、泣いてもお母さんはわかってくれなかった。やっと従兄弟のお兄ちゃんが「智んべいも勉強がしたいのか」と聞いてくれました。私は「うん」と言いました。それで私の気持ちがやっと解ってもらえました。もっと早くわかってもらえたら良かったのにと思っていました。